むかーし、同級生にクマダという子がいた。
クマダは勉強はそこそこできたが、
どちらかというとぼんやりしたヤツだった。
ある日クマダがメガネを外して机の上に置いた。
顔がでかすぎるのか、
メガネは、すっかりつるが広がっていた。
みな口々に、直した方がよいと忠告した。
クマダはしかし、
「おれ、買ったときからいじってない」
だから広がっているはずはない、と言い張った。
毎日このメガネを使っているが、まったく変わったようには
見えない。毎日見ているおれが言うんだから間違いない。
クマダはそう思ったのだろう。
ひと目でそれとわかるメガネのゆがみを、
かたくなに認めようとしなかった。
時計の針がそうであるように、緩やかな動きというものは
動きとして見ることはできない。
それでも絶え間ない繰り返しは、
いつしか大きな変化を生むものである。
ちょうど雨だれが石を穿つように。
なにせ遠い昔のことである。
クマダの顔もぼんやりとした印象しか残っていない。
しかしどういうわけかあのときの、
なんてこいつはアホなんだ、という驚きだけは
忘れられない。
2006年06月30日
2006年06月27日
マック退院
かれこれ3週間近く入院していたマックが、きのう退院した。
ロジックボードを交換し、ハードディスクも入れ替えたので、
すっかり別人のようである。
いろいろ記憶をなくしてしまっているために、
ちょっと不便もあるけれど、
いつの間にやら溜まってしまったゴミのようなデータがすっきり
片付いて、まあよかった。
それにしても、先月買った新品のノートパソコンが7万円弱だったのに、
この修理とハードディスクの交換には8万円以上かかってしまった。
さすがに泣いた。
それならいっそ新品を買った方がいい、という人もいるけれど、
それは違う。
病気になったペットを捨てて、新しい犬を買えるだろうか。
ってなわけで、わが家には、新旧あわせて三匹のマックがいます。
ロジックボードを交換し、ハードディスクも入れ替えたので、
すっかり別人のようである。
いろいろ記憶をなくしてしまっているために、
ちょっと不便もあるけれど、
いつの間にやら溜まってしまったゴミのようなデータがすっきり
片付いて、まあよかった。
それにしても、先月買った新品のノートパソコンが7万円弱だったのに、
この修理とハードディスクの交換には8万円以上かかってしまった。
さすがに泣いた。
それならいっそ新品を買った方がいい、という人もいるけれど、
それは違う。
病気になったペットを捨てて、新しい犬を買えるだろうか。
ってなわけで、わが家には、新旧あわせて三匹のマックがいます。
2006年06月26日
素粒子を笑え
金曜日の朝日新聞夕刊の「素粒子」から。
本欄は、朝日によれば「寸鉄人を刺す」「人気」コラム、
だそうである。
「戦いすんで夜が明けて、日本の球蹴り狂想曲終わる。
あんな、へなへなシュートじゃ、仕方ない」
え、これが朝日一面の主張ですか。
■
おりしも桐生悠々が信濃毎日新聞に書いた
「関東防空大演習を嗤う」を読む。
桐生は戦時中、
東京上空に戦闘機を飛ばして防空演習をしたことを受け、
本土に敵機が襲来したら首都は灰燼に帰すほかないのだから、
防空演習をするのはまったく無意味、と論じ職を追われた。
彼は後年
「言いたいことを、出放題に言っていれば、愉快に相違ない。
だが、言わねばならないことを言うのは、愉快ではなくて、
苦痛である。
何ぜなら、言いたいことを言うのは、権利の行使であるに
反して、言わねばならないことを言うのは、
義務の履行だからである。
(略)
しかも、この義務の履行は、多くの場合、犠牲を伴う。
少くとも、損害を招く。
現に私は防空演習について言わねばならないことを言って、
軍部のために、私の生活権を奪われた。」と述べている。
■
ジャーナリズムとは、こういうものを言う。
そうそう、朝日新聞のみなさんも、
たしか「ジャーナリズム宣言」なんて言っていましたよね。
ぷぷぷ。
本欄は、朝日によれば「寸鉄人を刺す」「人気」コラム、
だそうである。
「戦いすんで夜が明けて、日本の球蹴り狂想曲終わる。
あんな、へなへなシュートじゃ、仕方ない」
え、これが朝日一面の主張ですか。
■
おりしも桐生悠々が信濃毎日新聞に書いた
「関東防空大演習を嗤う」を読む。
桐生は戦時中、
東京上空に戦闘機を飛ばして防空演習をしたことを受け、
本土に敵機が襲来したら首都は灰燼に帰すほかないのだから、
防空演習をするのはまったく無意味、と論じ職を追われた。
彼は後年
「言いたいことを、出放題に言っていれば、愉快に相違ない。
だが、言わねばならないことを言うのは、愉快ではなくて、
苦痛である。
何ぜなら、言いたいことを言うのは、権利の行使であるに
反して、言わねばならないことを言うのは、
義務の履行だからである。
(略)
しかも、この義務の履行は、多くの場合、犠牲を伴う。
少くとも、損害を招く。
現に私は防空演習について言わねばならないことを言って、
軍部のために、私の生活権を奪われた。」と述べている。
■
ジャーナリズムとは、こういうものを言う。
そうそう、朝日新聞のみなさんも、
たしか「ジャーナリズム宣言」なんて言っていましたよね。
ぷぷぷ。
2006年06月16日
はやりのよいこと
思い起こせば数年前、
「ヘブンズパスポート」というのがはやったことがある。
パスポートを模した冊子に願い事を記し、
何か「よいこと」をするたびにシールを貼っていき、
シールが百個たまったら願い事がかなう、
というグッズである。
覚えている人もいるだろう。
そこでいう「よいこと」というのはまことに他愛ない
ものだった。
倒れていた自転車を起こしてやった。
席をゆずった。
ごみを拾った
という軽いよいことから、
お菓子を食べずにガマンした。
お母さんに呼ばれて返事をした。
宿題をきちんとやった。
というどこがよいことまで、
要するに行動を意識的にコントロールできたらなんでも
オッケーだったようだ。
こういう軽さに対しては、皮肉も批判もいくらでも言えようが、
ともあれこいつがはやっていたころ、
中高生の女の子たちは、自分にできる小さなよいことを考えて、
どんどん実行しようとしていたことは間違いない。
中高生というのは、従順な子どもを脱したい年代だから、
ちょっと悪めの子になってみたいと思いがちなのに、
よくもまあ、あんなことがはやったものだと思う。
正直に言うと、素朴な善意をあまりにも屈託なく表明されると、
どこか小恥ずかしいような、いや、いっそうすら寒いような
居心地の悪さを感じてしまうのだけれど、それでも
世の中に自分と友達しかいないような傍若無人振りを見るよりは、
はるかによいに決まっている。
よいこと系の流行としてひところはやったホワイトバンドも
すっかり鳴りをひそめてしまった。
また何か出てこないかなあ。
「ヘブンズパスポート」というのがはやったことがある。
パスポートを模した冊子に願い事を記し、
何か「よいこと」をするたびにシールを貼っていき、
シールが百個たまったら願い事がかなう、
というグッズである。
覚えている人もいるだろう。
そこでいう「よいこと」というのはまことに他愛ない
ものだった。
倒れていた自転車を起こしてやった。
席をゆずった。
ごみを拾った
という軽いよいことから、
お菓子を食べずにガマンした。
お母さんに呼ばれて返事をした。
宿題をきちんとやった。
というどこがよいことまで、
要するに行動を意識的にコントロールできたらなんでも
オッケーだったようだ。
こういう軽さに対しては、皮肉も批判もいくらでも言えようが、
ともあれこいつがはやっていたころ、
中高生の女の子たちは、自分にできる小さなよいことを考えて、
どんどん実行しようとしていたことは間違いない。
中高生というのは、従順な子どもを脱したい年代だから、
ちょっと悪めの子になってみたいと思いがちなのに、
よくもまあ、あんなことがはやったものだと思う。
正直に言うと、素朴な善意をあまりにも屈託なく表明されると、
どこか小恥ずかしいような、いや、いっそうすら寒いような
居心地の悪さを感じてしまうのだけれど、それでも
世の中に自分と友達しかいないような傍若無人振りを見るよりは、
はるかによいに決まっている。
よいこと系の流行としてひところはやったホワイトバンドも
すっかり鳴りをひそめてしまった。
また何か出てこないかなあ。
2006年06月12日
毎年のことながら
数日前に梅雨入りが宣言されてから、よい天気が続いている。
昔に比べ天気予報はとてもよく当たるようになってきたが、
どういうわけかこれだけは、見事に外れる。
もともと梅雨入り宣言というのが何のためにされるものなのか
よくわからない。
梅雨入りしましたと言われても、ああそうね、と思うだけ
だし、ここんところよく雨が降っています、なんてことは、
気象庁に言われなくてもわかることだし、
6月は雨の季節だということぐらい、第一だれでも知っている。
「桜の開花日」のような季節の便りとして、梅雨入りを
心待ちにする人がいるってことかしらん。
謎だ。
昔に比べ天気予報はとてもよく当たるようになってきたが、
どういうわけかこれだけは、見事に外れる。
もともと梅雨入り宣言というのが何のためにされるものなのか
よくわからない。
梅雨入りしましたと言われても、ああそうね、と思うだけ
だし、ここんところよく雨が降っています、なんてことは、
気象庁に言われなくてもわかることだし、
6月は雨の季節だということぐらい、第一だれでも知っている。
「桜の開花日」のような季節の便りとして、梅雨入りを
心待ちにする人がいるってことかしらん。
謎だ。
2006年06月08日
芸術はきびしい
芸術選奨なんやら賞を受賞したワダ先生の作品に、
盗作の嫌疑がかけられている。
まったく失礼な話である。
盗作というのは、誰かの作品から作品を構成する
重要な要素である構図やモチーフといったものの
一部をいただいちゃうことを言うのである。
そういう視点から冷静に見れば、
ワダ先生の一連の作品がそれに当たらないことは
明らかだ。
ああいうのは、盗作といわず、模写という。
盗作にもならないろくでもない模写が、
芸術選奨文部科学大臣賞なんていう立派な賞を
もらえちゃったという事件は、
画家のモラルがどうこうというよりも、
世界の隅々にまで張りめぐらされているはずの情報の網が、
実はスッカスカだったということを示した点で、
とても興味深いものだった。
それにしても、ゲイジュツの世界ってのはきびしい。
ほかの学問なんかだったら、海外の研究をそのまんま紹介
するだけで学者さんとして認めてもらえるわけだけど、
それと同じことをしたら盗作って言われちゃうんだもんな。
自動車のライトがそろって意地悪そうな吊り目になったのは、
みんなが誰かのデザインを「取り入れた」からに違いないが、
これを盗作という人はいないし、
悲恋を描いた小説にやたらと白血病が登場したり、
日本語の歌を誰かの真似して巻き舌で歌ったりしても、
盗作とは見なされない
そういえばゴッホが浮世絵を真似して描いた作品があったが、
あれを盗作と言う人もいない。
誰かのオリジナルな着想をちゃっかりいただいちゃうという点では、
こういうものも盗作と変わりないように思うんだが、
なかなか線引きは難しいようである。
で、ぼくなりにいろいろ考えてみた結果、
「作品を見比べて腹が立ったら盗作」
という基準に思い至った。
なかなかよくない?
盗作の嫌疑がかけられている。
まったく失礼な話である。
盗作というのは、誰かの作品から作品を構成する
重要な要素である構図やモチーフといったものの
一部をいただいちゃうことを言うのである。
そういう視点から冷静に見れば、
ワダ先生の一連の作品がそれに当たらないことは
明らかだ。
ああいうのは、盗作といわず、模写という。
盗作にもならないろくでもない模写が、
芸術選奨文部科学大臣賞なんていう立派な賞を
もらえちゃったという事件は、
画家のモラルがどうこうというよりも、
世界の隅々にまで張りめぐらされているはずの情報の網が、
実はスッカスカだったということを示した点で、
とても興味深いものだった。
それにしても、ゲイジュツの世界ってのはきびしい。
ほかの学問なんかだったら、海外の研究をそのまんま紹介
するだけで学者さんとして認めてもらえるわけだけど、
それと同じことをしたら盗作って言われちゃうんだもんな。
自動車のライトがそろって意地悪そうな吊り目になったのは、
みんなが誰かのデザインを「取り入れた」からに違いないが、
これを盗作という人はいないし、
悲恋を描いた小説にやたらと白血病が登場したり、
日本語の歌を誰かの真似して巻き舌で歌ったりしても、
盗作とは見なされない
そういえばゴッホが浮世絵を真似して描いた作品があったが、
あれを盗作と言う人もいない。
誰かのオリジナルな着想をちゃっかりいただいちゃうという点では、
こういうものも盗作と変わりないように思うんだが、
なかなか線引きは難しいようである。
で、ぼくなりにいろいろ考えてみた結果、
「作品を見比べて腹が立ったら盗作」
という基準に思い至った。
なかなかよくない?
2006年06月07日
マック入院
予期していたとおり、パソコンが壊れてしまいました。
ハードディスクを交換しても駄目で、そのまま入院です。
というわけで、現在代わりのパソコンで作業していますが、
メールを設定する時間がないため、きょうは受信できません。
どうかご了承ください。
ついでと言っては何ですが、ひとつご同情もお願いします。
ハードディスクを交換しても駄目で、そのまま入院です。
というわけで、現在代わりのパソコンで作業していますが、
メールを設定する時間がないため、きょうは受信できません。
どうかご了承ください。
ついでと言っては何ですが、ひとつご同情もお願いします。
マックあやうし
仕事でもプライベートでもバリバリ使っている愛機
PowerBookが瀕死である。
動きは遅いし、しょっちゅう止まっちゃうし、
今日はついに起動できなくなること数回、
あわててバックアップを取ってXデーの備えをした。
とりあえずどうしても必要なものだけを、と思ったら、
いやあ、
どうしても必要なものってのは案外少ないものだねえ。
パソコンの中に散乱しているものの大半は、
まあ言ってみれば思い出であって、
今現在を支えるものではない。
なるほど。
PowerBookが瀕死である。
動きは遅いし、しょっちゅう止まっちゃうし、
今日はついに起動できなくなること数回、
あわててバックアップを取ってXデーの備えをした。
とりあえずどうしても必要なものだけを、と思ったら、
いやあ、
どうしても必要なものってのは案外少ないものだねえ。
パソコンの中に散乱しているものの大半は、
まあ言ってみれば思い出であって、
今現在を支えるものではない。
なるほど。
2006年06月06日
迷子のボクちゃん
今日の夕方、作文の授業で散歩に行った。
作文を書くのに散歩、と思われるかもしれないが、
ウチの塾ではいいのである。
さて、その散歩の帰りに、
幼稚園くらいのお兄ちゃんと、
2歳くらいの弟くんの兄弟に出くわした。
公園にでも行った帰りらしい。
ところがお兄ちゃんは下り坂をいいことに、
補助輪付きの自転車でさっさと行ってしまい、
そのまんま姿が見えなくなってしまった!
弟くんは大泣きである。
見たこともない子だが、仕方がない。
ボクちゃんの手を引いておうちに連れて行くことにした。
ところが、おうちが分からない。
あっちへうろうろ、こっちへうろうろ。
おにいちゃんの行方も知れない。
あっちだよー。
ちがうねー。
おうちわかんないや。
ぼくんちねー、おもちゃがいっぱいあるよー。
あーあ、つかれちゃった。
なんていうボクちゃんに30分以上も連れ回され、
やっと目指すマンションにたどり着いた頃には、
授業の時間はあらかた終わってしまっていた。
あちゃー。
しかし、この救出劇は、とても印象的だった。
ぼくの生徒である小3と小5の兄弟が、
大活躍をしてくれたからだ。
自分のできることをさっと判断して、
あちこち走り回ってようすを見たり、
自転車を取ってきて、
はぐれたお兄ちゃんを捜しに行くと言ってくれたり、
さかんにその男の子に話しかけたり、
一件ずつ表札を確かめたり、
男の子の曖昧な供述から事実を推理したり、
マンションの自転車置き場を捜査して、
まだお兄ちゃんが帰ってきていないことを確かめたり、
まあ、動くこと動くこと。
小学生が、あんなに機転をきかせて働けるとは
思ってもみなかった。
ほんとうに感心したなあ。
教室でお勉強をする限り、
ものすごく優秀というわけではないが、
なるほど、ああいうのを頭がいい子って言うんだなあ、と
見直したことだった。
作文を書くのに散歩、と思われるかもしれないが、
ウチの塾ではいいのである。
さて、その散歩の帰りに、
幼稚園くらいのお兄ちゃんと、
2歳くらいの弟くんの兄弟に出くわした。
公園にでも行った帰りらしい。
ところがお兄ちゃんは下り坂をいいことに、
補助輪付きの自転車でさっさと行ってしまい、
そのまんま姿が見えなくなってしまった!
弟くんは大泣きである。
見たこともない子だが、仕方がない。
ボクちゃんの手を引いておうちに連れて行くことにした。
ところが、おうちが分からない。
あっちへうろうろ、こっちへうろうろ。
おにいちゃんの行方も知れない。
あっちだよー。
ちがうねー。
おうちわかんないや。
ぼくんちねー、おもちゃがいっぱいあるよー。
あーあ、つかれちゃった。
なんていうボクちゃんに30分以上も連れ回され、
やっと目指すマンションにたどり着いた頃には、
授業の時間はあらかた終わってしまっていた。
あちゃー。
しかし、この救出劇は、とても印象的だった。
ぼくの生徒である小3と小5の兄弟が、
大活躍をしてくれたからだ。
自分のできることをさっと判断して、
あちこち走り回ってようすを見たり、
自転車を取ってきて、
はぐれたお兄ちゃんを捜しに行くと言ってくれたり、
さかんにその男の子に話しかけたり、
一件ずつ表札を確かめたり、
男の子の曖昧な供述から事実を推理したり、
マンションの自転車置き場を捜査して、
まだお兄ちゃんが帰ってきていないことを確かめたり、
まあ、動くこと動くこと。
小学生が、あんなに機転をきかせて働けるとは
思ってもみなかった。
ほんとうに感心したなあ。
教室でお勉強をする限り、
ものすごく優秀というわけではないが、
なるほど、ああいうのを頭がいい子って言うんだなあ、と
見直したことだった。
2006年06月05日
うりゃー!
目の前に飛んできた虫を、
シャッタースピード1/3200秒で撮りました。
もちろんウソです。
2006年06月04日
類似品に注意
講談社青い鳥文庫には、良心的な作品が多い。
古典的な名作や、スタンダードとでもいうべきものを、
小中学生にも読みやすい編集で提供してくれている。
ところが中には、信じられないくらいひどい作品がある。
先日目にした「坊っちゃん」がそれだ。
夏目漱石の「坊っちゃん」と言えば、
夏目漱石の「坊っちゃん」しかないに決まっているが、
その本は違った。
なんとオリジナルの文章を、
今の子どもには分かりにくいだろうという「配慮」から、
ところどころ(分からない程度に)書き直してあるのだ。
今「坊っちゃん」を読む意義があるとすれば、
それは何より明治時代の文章を味わい、
古い日本語をなつかしく継承するところにあると思われるが、
本書の意図はそこにはない。
なんせ子どもを名文に導くのではなく、
名文を子どものレベルに引き下ろしているのである。
直しがほんのちょっとなのは、
原文の素晴らしさをそこなわないように、
ということなのだろうが、このほんのちょっとが耐え難い。
どうせなら、
ひと目でそれと分かるほど直してしまえばよいのだ。
そうすれば誰もそれを「漱石の作品」とは思わない。
書き直したところに注もないから、
この本を読み終えた人の大半は、
リライトされていることに気づかないだろう。
すなわち、
あやまって本書を与えられた子どもたちは、
本書のつぎはぎされた妙ちくりんな文章を、
漱石のものだと疑わず読むことになるわけだ。
他の本との差別化を図りたいのは分かるが、
これはいけない。
はっきりと、「原作/夏目漱石、平成訳/福田清人」
と書かなくちゃ。
みなさん、類似品にはくれぐれもご注意くださいね。
古典的な名作や、スタンダードとでもいうべきものを、
小中学生にも読みやすい編集で提供してくれている。
ところが中には、信じられないくらいひどい作品がある。
先日目にした「坊っちゃん」がそれだ。
夏目漱石の「坊っちゃん」と言えば、
夏目漱石の「坊っちゃん」しかないに決まっているが、
その本は違った。
なんとオリジナルの文章を、
今の子どもには分かりにくいだろうという「配慮」から、
ところどころ(分からない程度に)書き直してあるのだ。
今「坊っちゃん」を読む意義があるとすれば、
それは何より明治時代の文章を味わい、
古い日本語をなつかしく継承するところにあると思われるが、
本書の意図はそこにはない。
なんせ子どもを名文に導くのではなく、
名文を子どものレベルに引き下ろしているのである。
直しがほんのちょっとなのは、
原文の素晴らしさをそこなわないように、
ということなのだろうが、このほんのちょっとが耐え難い。
どうせなら、
ひと目でそれと分かるほど直してしまえばよいのだ。
そうすれば誰もそれを「漱石の作品」とは思わない。
書き直したところに注もないから、
この本を読み終えた人の大半は、
リライトされていることに気づかないだろう。
すなわち、
あやまって本書を与えられた子どもたちは、
本書のつぎはぎされた妙ちくりんな文章を、
漱石のものだと疑わず読むことになるわけだ。
他の本との差別化を図りたいのは分かるが、
これはいけない。
はっきりと、「原作/夏目漱石、平成訳/福田清人」
と書かなくちゃ。
みなさん、類似品にはくれぐれもご注意くださいね。
2006年06月03日
何の気なしに買ったけど
「志賀直哉はなぜ名文か」という本には
ちょっとくらくらきた。
「日本語大シソーラス」を編纂した山口翼が、
志賀直哉のすごい文章を精査し、拾い上げ、分類し、
簡単な解説とともに並べて見せてくれている。
すごい文章、なんていうとまるで齋藤孝を真似している
みたいでイヤなのだが、
だって実際、改めてみると、志賀直哉って人はすごいのだ。
ぼくが志賀直哉を読んでいたのは小学生の頃だから、
子どもが知らない人に寿司を食わせてもらうとか、
蜂がだんだん死んでいくとか、
清兵衛くんはひょうたんが大好きだとか、
そんな話のどこが面白いのかまったく分からなかった。
ずっと経ってからも、
志賀直哉自身が朗読している「暗夜行路」を聞いて、
つっかえつっかえ棒読みしているさまを笑ったりするくらいで、
まともに読み返す気持ちになったこともない。
ところがねえ。
志賀直哉の文章は、ほんとうにすごいのだ。
短編小説の神様、なんて言われる構成の妙は知らないが、
こと表現に関しては、まさに名人芸だと思わずにはいられない。
もっともそうした達意の表現であっても、
自分で小説を読むだけならおそらく何気なく読み過ごして
しまうだろう。
山口氏が丁寧に拾い上げ、額に入れて見せてくれたために
はじめて気がつくすごさである。
「浮かれた気持ちを不意に叩かれた妻は
調子のとれない不安な顔をして、脇へ来て座った」
なんて、
気取りや工夫の跡さえ見えない書き方だけれど、
そのままの情景がありありと浮かんでくるじゃないか。
もしかしたら志賀直哉って、
今でもまだまだ読まなきゃいけない作家なのかも知れない。
ちょっとくらくらきた。
「日本語大シソーラス」を編纂した山口翼が、
志賀直哉のすごい文章を精査し、拾い上げ、分類し、
簡単な解説とともに並べて見せてくれている。
すごい文章、なんていうとまるで齋藤孝を真似している
みたいでイヤなのだが、
だって実際、改めてみると、志賀直哉って人はすごいのだ。
ぼくが志賀直哉を読んでいたのは小学生の頃だから、
子どもが知らない人に寿司を食わせてもらうとか、
蜂がだんだん死んでいくとか、
清兵衛くんはひょうたんが大好きだとか、
そんな話のどこが面白いのかまったく分からなかった。
ずっと経ってからも、
志賀直哉自身が朗読している「暗夜行路」を聞いて、
つっかえつっかえ棒読みしているさまを笑ったりするくらいで、
まともに読み返す気持ちになったこともない。
ところがねえ。
志賀直哉の文章は、ほんとうにすごいのだ。
短編小説の神様、なんて言われる構成の妙は知らないが、
こと表現に関しては、まさに名人芸だと思わずにはいられない。
もっともそうした達意の表現であっても、
自分で小説を読むだけならおそらく何気なく読み過ごして
しまうだろう。
山口氏が丁寧に拾い上げ、額に入れて見せてくれたために
はじめて気がつくすごさである。
「浮かれた気持ちを不意に叩かれた妻は
調子のとれない不安な顔をして、脇へ来て座った」
なんて、
気取りや工夫の跡さえ見えない書き方だけれど、
そのままの情景がありありと浮かんでくるじゃないか。
もしかしたら志賀直哉って、
今でもまだまだ読まなきゃいけない作家なのかも知れない。
2006年06月02日
座ったままで、君が代
東京の公立高校の卒業式で
君が代「不起立」を呼びかけて式を妨害した人がいた。
彼は定年までその高校で教鞭を執った元先生だったが、
裁判で威力業務妨害罪に問われ、ついに今週、
罰金刑を言い渡された、という。
どうよ、これ。
天皇の御代がいつまでも続きますように、
なんて歌をオレは国歌とは認めん、という主張は、
分からないでもない。
オレが正しいと信じていることは正しいに決まっているし、
その正しいことを貫き通す行為はこれまた正しい、
と信じる気持ちも、この際分かってやっていい。
しかし、公立高校で定年まで教鞭を執った先生が、
お世話になった東京都やお国に反旗をひるがえすってのは、
やっぱりおかしいのではないか。
なにしろこの人の人生は、公立高校の教師としての禄を食む
ことで成り立っていたのである。
それほど不満があったなら、さっさと高校を辞め、
私塾でも何でも開けばよかったではないか。
いや、そうではない。
抗議をしたい気持ちを強く持ちながら、
現職の教師という立場に鑑みて、ずっと抑えてきたのだ、
定年を迎えて公務員としての立場を離れて
はじめて自らの信念に基づいた行動に出たのだから、
筋が通っているじゃないか、
と考える人もいるかもしれない。
うーん、難しいねえ。
ただ、
ウソかホントかは知らないが、
学生運動が盛んだった頃、
「革命の理想を掲げる以上、国の庇護の元で勉強する
わけにはいかない」と、
あえて私大に進んだ連中がいたという。
こういう馬鹿ないさぎよさが、ぼくは好きだ。
君が代「不起立」を呼びかけて式を妨害した人がいた。
彼は定年までその高校で教鞭を執った元先生だったが、
裁判で威力業務妨害罪に問われ、ついに今週、
罰金刑を言い渡された、という。
どうよ、これ。
天皇の御代がいつまでも続きますように、
なんて歌をオレは国歌とは認めん、という主張は、
分からないでもない。
オレが正しいと信じていることは正しいに決まっているし、
その正しいことを貫き通す行為はこれまた正しい、
と信じる気持ちも、この際分かってやっていい。
しかし、公立高校で定年まで教鞭を執った先生が、
お世話になった東京都やお国に反旗をひるがえすってのは、
やっぱりおかしいのではないか。
なにしろこの人の人生は、公立高校の教師としての禄を食む
ことで成り立っていたのである。
それほど不満があったなら、さっさと高校を辞め、
私塾でも何でも開けばよかったではないか。
いや、そうではない。
抗議をしたい気持ちを強く持ちながら、
現職の教師という立場に鑑みて、ずっと抑えてきたのだ、
定年を迎えて公務員としての立場を離れて
はじめて自らの信念に基づいた行動に出たのだから、
筋が通っているじゃないか、
と考える人もいるかもしれない。
うーん、難しいねえ。
ただ、
ウソかホントかは知らないが、
学生運動が盛んだった頃、
「革命の理想を掲げる以上、国の庇護の元で勉強する
わけにはいかない」と、
あえて私大に進んだ連中がいたという。
こういう馬鹿ないさぎよさが、ぼくは好きだ。
2006年06月01日
知らなかった
みなさんご存じでしたか。
歩行者は信号を守らないといけないんですよ。
違反すると、2万円以下の罰金なんですって。
びっくりするじゃありませんか。
わたしは今日まで、
パトカーが止まっているその目の前でも堂々と
信号無視をしていて、
「はい、信号赤ですよ!!」とかマイクで言われちゃっても、
ふーん、歩行者免許なんかないんだもんね、
減点だってないんだもんね、と思ってヘーキだったのですが、
あれはとんでもないことだったのですね。
別に悪事を尽くし立派な不良になろうとしていたわけではなく、
ただ法律で守ってもらわなくても、
自分の安全くらい自分で守るんだからよけいな気遣いはいらない、
というだけの気持ちでしたが、
そうした歩行の自由がなぜ許されないのか、
わたしには理解ができません。
赤信号で渡るときの慎重さは、
青信号を気楽に渡る時とは比べものになりません。
何度も左右を確認し、右を見ている間に左から来るかも、
いやこうして左を見ているうちに右から来ているかもしれない、
という緊張は、いちいちご説明するにも及びますまい。
赤で渡る以上、はねられても当然自分のせいという意識が
ありますから、ぼんやり信号に従って渡るよりも、
はるかに安全コンシャスな状態であることは間違いありません。
ってなことを考えると、
明らかに「本人がいいって言ってるならいいじゃん」という
レベルの問題のように思われますが、
お上が罰金2万円、すなわち今月は小遣いはなし、という
容赦のない厳罰を定めている以上、そこにはなんらかの法理が
あるはずです。
うーん、うーん、うーん、うーん。
そうか!
信号無視して事故に遭って病院に担ぎ込まれたら、医療費がかかる、
つまり健康保険からお金を出さなくてはいけない。
つまり、喫煙者パージが吹き荒れたあの「健康増進法」と同じく、
事故を減らし、もって医療費を削減する、
というのが狙いなのでしょうか。
まさかねー。今度おまわりさんに聞いてみよっと。
歩行者は信号を守らないといけないんですよ。
違反すると、2万円以下の罰金なんですって。
びっくりするじゃありませんか。
わたしは今日まで、
パトカーが止まっているその目の前でも堂々と
信号無視をしていて、
「はい、信号赤ですよ!!」とかマイクで言われちゃっても、
ふーん、歩行者免許なんかないんだもんね、
減点だってないんだもんね、と思ってヘーキだったのですが、
あれはとんでもないことだったのですね。
別に悪事を尽くし立派な不良になろうとしていたわけではなく、
ただ法律で守ってもらわなくても、
自分の安全くらい自分で守るんだからよけいな気遣いはいらない、
というだけの気持ちでしたが、
そうした歩行の自由がなぜ許されないのか、
わたしには理解ができません。
赤信号で渡るときの慎重さは、
青信号を気楽に渡る時とは比べものになりません。
何度も左右を確認し、右を見ている間に左から来るかも、
いやこうして左を見ているうちに右から来ているかもしれない、
という緊張は、いちいちご説明するにも及びますまい。
赤で渡る以上、はねられても当然自分のせいという意識が
ありますから、ぼんやり信号に従って渡るよりも、
はるかに安全コンシャスな状態であることは間違いありません。
ってなことを考えると、
明らかに「本人がいいって言ってるならいいじゃん」という
レベルの問題のように思われますが、
お上が罰金2万円、すなわち今月は小遣いはなし、という
容赦のない厳罰を定めている以上、そこにはなんらかの法理が
あるはずです。
うーん、うーん、うーん、うーん。
そうか!
信号無視して事故に遭って病院に担ぎ込まれたら、医療費がかかる、
つまり健康保険からお金を出さなくてはいけない。
つまり、喫煙者パージが吹き荒れたあの「健康増進法」と同じく、
事故を減らし、もって医療費を削減する、
というのが狙いなのでしょうか。
まさかねー。今度おまわりさんに聞いてみよっと。

