2007年10月05日

知らぬこととは言いながら

ちーと買いたい本があって、栄に行ってきた。
何軒か回ったが、目当ての本は見つからない。
興味を引かれた本もあったが、
立ち読みであらかた読んでしまい、
結局何も買わずじまい。

happa.jpg

ついでだからと靴を見て、
筆記用具だの手帳だのを物色した。
何度が手に取ってはみるものの、気持ちが乗らない。
外へ出て、お昼にしようと何軒かメニューを眺めるが、
これまたあまり食べたい気分にならず、
とうとう食べずにすませてしまった。

ところがアップルストアに寄ったら、
一気に物欲が燃え上がった。
iPod Touch。あれはすごい。
そんな気もなく店に入ったのだけど、
あそこで一声背中を押されたら、きっと
買ってしまっただろう。
ぐりぐりってするだけで、どわってなって、
わーっ、えーっ、すげーって感じなんだもの。
デジカメを買い換えたら、次はあれだな。

ってな具合にうろうろしているうちに、
そろそろ帰らなきゃな時間になってしまった。
まったく何をしているんだろう。

hana09.jpg

教室に戻り、
カバンを開けて驚いた。

おーお。

サイフがない。
現金もない。
カードもない。
しけんもなんにもない。

そういえば、
朝、いちどサイフを出した覚えはあるが、
カバンに入れた覚えはない。
どうやらそのまま、出てきてしまったらしい。
あ、ケータイ忘れた、とは思ったが、
サイフも忘れていたとは。

いやいや。
今日いちにち、お金を持たずに過ごしていたのね。
ふつうの顔して、買い物客然としていたのね。
1銭も持っていないくせに、
本を買おうとか、靴を買おうとか、
文房具を買おうとか、石鹸を買おうとか、
食事をしようとか、ジュースを飲もうとか、
疲れたからバスに乗ろうとか、
郵便局で振り込みをしようとか、
そんなことを思っていたのね。

飯でも食っていたら、大ピンチでした。
想像するだけで泣きそうです。
まったく、あぶないところでした。
posted by こもだ at 23:00| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月04日

どういうわけか

古い建物を見ると、ついふらふらと近づいてしまいます。

itakabe.jpg

とくにガラスが割れていたり、

broken.jpg

壁が落ちていたりすると、もう我慢できない。

boro.jpg

なんででしょうね。
posted by こもだ at 22:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

看板と張り紙

こういう看板は、よくある。

i_ken.jpg


しかし、こ、これは。

i_jin.jpg
posted by こもだ at 13:20| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月28日

自分のことを棚に上げて

「先生は勉強しろって言うけどさ、
勉強した結果、先生みたいになっちゃうなら、
おれは勉強なんてしたくない。」

なんてことをよく思っていた。
高校生の頃だ。

「そもそも勉強というのは、
それ自体が目的ではなくて、
勉強で身につけた何かを生かして、
別の何事かを成しとげるためのものだろう。
それなのに、先生は、
ただそれを下の世代に丸投げしているだけで、
何かを生み出しているわけでもない。
それでさも立派な人のように説教を垂れているなんて、
ちゃんちゃらおかしいよなー。」

higan.jpg

そんな風にひねくれていた自分に向かって、
今のぼくが何かを言ってやるとしたら、
それはきっと、こういうことだろう。

あのね、立派なのは先生じゃなくて、
先生が伝えてくれている中身なのよ。
だから尊敬しなくちゃいけないのは、
先生じゃなくて、勉強の方。
人類がずーっと数千年も大事にしてきたものだもの、
そりゃすごいに決まっているだろ。
先生はそんなに大したことはないかもしれない。
でも、先生が伝えている勉強は違うんだ。
勉強はすごい。
面白い。
うーんと尊敬するといい。

な、分かるか、おれ。
posted by こもだ at 22:44| Comment(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月27日

いらないんだけどね

esca.jpg

こんな短いエスカレーター、いらないじゃんっ
て言いながら、ごらんの通り、みんな乗っています。
名古屋・栄にて。
posted by こもだ at 00:23| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月21日

郡上八幡で

夕方まで仕事がないのをいいことに、
郡上八幡に行ってきた。
つい先週まで、
大勢の人が夜を徹して踊りさんざめいていたなんて、
嘘のようだ。
この町は、どこを歩いても水の音がする。

yoshida1.jpg

夏には若い子たちが
町の真ん中を流れる吉田川を目がけて、
12メートルもある高い橋から次々に飛び込むという。
もちろん危険がないわけはない。
よそから来た学生が溺れて亡くなる事故もあった。
それでも市は飛び込みを禁止するわけでもなく、
「飛び込むときは気をつけましょう」なんていう
看板を立てているだけである。
こうした鷹揚さは好もしい。

fishingyoshi.jpg

橋の上から釣りをしている人を眺めていたら、
バイクで配達中のおじさんに、
釣れてますか、と声を掛けられた。

どうですかねえ、なんてあいまいに答えたが、
おじさんはぼくの返事など聞きもせず、
じいっと川のおもてを見つめている。
仕事なんてほっぽり出して、
釣りたい一心なのがおかしかった。
posted by こもだ at 22:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月20日

だって楽しいんだもーん

地下鉄に乗ったら、
シートから身を乗り出しながら、
ゲームに熱中している人がいた。
ドラクエだか何だか、
口を開けてRPGに没頭するその人は
どうみてもお父さん世代で、
年のころは40代半ばに見えた。

思えばかつて
「電車の中でマンガを読む大学生」
というのが世間のひんしゅくをかったものである。
40代半ばのお父さん、というのは、
ちょうどその世代に当たるわけだ。

近頃の若いモンは、と
さんざんと言われたダメダメ世代が、
なりは背広に変わっても、
中身はさっぱり変わらずに、
歳だけ取ってしまっている、
ってことかもしれない。

mode.jpg

ゲームを楽しむことはよい。
でもおじさんが人前でぴこぴこやっているカッコ悪さは、
電車で化粧することの比ではない。

みっともないだけじゃない。
あれが珍しくなくなった日には、
あろうことか子どもたちは、
人前で堂々とゲームに没頭する大人を
さほど怪しむこともなく、
下手をすれば身近なモデルと思いながら、
育っていくことになる。

どんな生き方をしても構わない。
でも、
次の世代を道連れにするのだけはやめてくれ。
posted by こもだ at 23:17| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月15日

ひとりもよいもの

高校生の頃、
名古屋の自宅から京都まで、ひとりで歩いたことがある。
6日間の小旅行である。

monmado.jpg

昼間はただ黙々と歩き、
神社の陰で寝袋にくるまって眠る、
なんていう道中が、楽しいはずはなかったが、
あれは貴重な体験だった。
おう、乗ってけよ、
と声を掛けてくれたトラックの運ちゃんも、
こころよく泊めてくれたお寺の人も、
顔は覚えていないけど、懐かしい。

あんな淋しさや不安や心細さは、
大人になってしまってからは、
なかなか味わえるものではない。

たしかにあの大学生のように、
仲間とにぎやかに出かけるのも楽しいだろう。
でも、楽しいことがいちばんよいとは限らない。
楽しくなくてさびしくて、
それでも素晴らしいことってのが、やっぱりある。

若くて馬鹿で弱くて貧乏なうちに、
そんなことのひとつを体験できてよかった、と思う。
posted by こもだ at 22:13| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月14日

若く明るく無神経

おとといだったか、
鳥取砂丘に巨大な落書きをした大学生の記事を読んだ。
大学のサークルで160kmの徒歩旅行をしたそうだ。
ゴールに到着した記念に、サークル名を書き残したそうだ。
砂丘のうちでももっとも名高い「馬の背」とよばれる場所に、
差し渡し50メートルもあるでっかい字で、
時間をかけて、せっせと足で掘り、
その写真を自分のブログで公開していたそうだ。

haisha.jpg

砂丘が器物に当たるか、なんてことはどうでもいい。
自然公園法の規定なども関係ない。
単純に、自分たち以外の人がそれを眺めたら、
腹立たしい思いがするだろう、という
当たり前のことに誰も思い及ばなかったのかしらん。

もっとも、彼らばかりが特殊なわけではない。
たとえば
居酒屋の前の歩道いっぱいに広がって、
大きな声で騒いでいる学生たちも、
まあ、メンタリティとしては同じである。

人として「無神経」と呼ばれることほど
恥ずかしいことはない。
おじさんは、そう思うんだけど、
若い皆さんは、違うのかなあ。
posted by こもだ at 17:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月12日

いじめられっ子、世をはばかる

さきほど安倍首相が辞意を表明した、という
ニュースを知りました。
このこと自体はわたしにとって
どうでもよいことなのですが、
どういう巡り合わせか、
分不相応な重責を担わされてしまって、
何とも気の毒な人だったなあと思います。

最後に残した言葉が
「テロとの戦いを継続していかなければ」
というのも痛々しい。
これはすなわち
わが国が最優先すべきは、
アメリカに忠義を尽くすことだ」
という意味でしょうが、
テレビ時代の政治家は、
政策的に正しい事を述べるよりも、
空気を読んだ発言をすることの方がより大事だ、
ということが分かっていらっしゃらない。
よほど実直な人なのでしょう。

同じく妙な巡り合わせで総理になってしまった
細川護煕さんも、
途中で職を放り出し、世間の非難を浴びたものです。
しかし、若くして政界を引退した後は、
お殿様らしく陶芸家として趣味の世界に
暮らしていらっしゃるご様子です。

政治という世界は、
誰かが担わなければならないものですが、
代わりは必ずいるものです。
ここはいっそ細川さんにならうのも、
ひとつの身の処し方ではないでしょうか。

強大な権力というものの重さは、
ひとりの小さなからだで支えるには、
あまりに大きすぎます。
もしかしたら安倍さんも、
普通の家に生まれ、
身の丈に合った生き方をしたかったのかも
しれませんね。
posted by こもだ at 23:16| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月09日

さよなら、ピカソ

岡崎の美術館に、ピカソを観に行った。
青々とした広い公園の斜面に立つ美術館は、
前に来たときからのお気に入り。
子どもたちに見せたかったのは、
じつはピカソの絵ではなく、
この美術館の方だったのかもしれない。

museum.jpg

ピカソの絵は、グラフィックアートとしては
けっこう好きだ。
キュビズムに行く前の青やバラ色の時代もよい。
ていねいに構築された作品は、
いくら解体されデフォルメされていても、
それはある必然性のもとにその形をしているように
見えて、やはり美しいと思う。

でも今日の展覧会はまるっきりダメだった。
もちろん大天才のピカソがダメなはずはないから、
駄目なのは、ぼくの方に決まっているのだが、
今日の駄目ぶりは、ちょっとつらかった。

ここ数週間、ずっとゴッホの手紙を読んでいるのが
いけなかったのだろう。
不遇というにはあまりにむごいゴッホの生涯がちらついて、
あふれんばかりの富と名声を得たピカソの華やかさが、
ねたましくて仕方がなかった。
芸術家というよりも、社会的な成功者としての
ピカソを見てしまった。

そうなると、もういけない。
虚心に絵を眺めることなどできるはずもなく、
ちゃっちゃと描いた作品も、
つぎつぎと女性を遍歴する暮らしぶりも、
得意げな顔の写真も、
みんな腹立たしく思えてきてしまう。

もやもやした気持ちを整理できないでいるうちに、
ピカソはもういいや、というよりも、
とうとうピカソはもういやだ、くらいの気分に
なってしまった。
posted by こもだ at 23:11| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月06日

夢の匂い

トイレの床の排水口が詰まった、夢を見た。
うちのトイレの床はタイル張りではなく、
あんな排水口もないのだが、
とにかくうちのトイレだった。

中に手をつっこんで、パイプに詰まっているものを
引きずり出すと、
それは脱水の済んだ洗濯物のようにねじれた
シャツであり、タオルであり、ハンカチである。
ずるずるずる、と両手でたぐり出し終わったら、
排水パイプの臭いがした。

夢に臭いがあるかどうか、学説は知らない。
ほんとうに寝台のあたりに悪臭が漂っていて
それを半ば目覚めながら嗅いだのかもしれないが、
それよりも、
眠りながらも、排水口といえば臭うはずだ、
と判断して、脳の中で臭いを作り出した、
と考える方がおもしろい。

夢を「見る」という
視覚的な疑似体験が当たり前にできるのだから、
こうやって夢を「嗅ぐ」ことができたって、
何も不思議はない。
外からの刺激があろうがなかろうが、
脳が匂いを嗅いだのと同じ反応をすれば、
臭いを現実として感じることができる、というわけだ。
まことに面白い体験だった。

もっとも、
これと同じことが目覚めているときに起きたなら、
それは幻覚と称され、
笑いごとではすまなくなるのだが、
われわれの正常さなんてものは、
一見不動のもののように見えるけれども、
しょせん
この程度の危ういバランスの上に立った
かりそめのものに過ぎないんだ、
なんて言ってしまったら、
たかが夢には大げさかね。
posted by こもだ at 15:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月05日

確信犯ですか?

kakushin.jpg

かくしん-はん【確信犯】
道徳的・宗教的または政治的確信にもとづいて行われる犯罪。
思想犯・政治犯・国事犯などに見られる。(広辞苑第五版)
posted by こもだ at 13:30| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月04日

歴史は繰り返すのか

新聞にすごいチラシが入っていた。
家から10番目くらいに近い、
すなわちけっこう遠くのコンビニが、
「千円以上配達料無料」で宅配をしてくれるというのだ。

それは便利でいいね、というよりむしろ、
コンビニはそこまでの競争に突入しているのかと、
恐ろしいような気分になった。

いったい、コンビニのコンビニエンス(便利さ)に
まだ不満を感じている消費者がいるのだろうか。
あえて問題点を挙げろと言われて、
無理やり考えればいろいろ出てくるかもしれないが、
こういうところが不便で困っている、なんていうことは、
コンビニに関しては、もう何もないのではないか。

kobestreet.jpg

宅配というアイデアは、
おそらく他店との差別化という視点から
絞り出したものであり、
本当の必要から生まれたものではないと思う。
しかし一度気づいてしまったからには、
これからのコンビニは、宅配くらいやらないと
淘汰されてしまうような時代がほんとうに
やってくるのかも知れない。

そして、もしかしたら宅配の次は、
電話を待つのではなく、
消費者のニーズをこちらから聞き出さなくてはいけない、
なんてことになり、
コンビニのみなさんは、
こんちはー、三河屋で〜す、今日はよろしかったですか。
ってなサービスを競って始め、
いつの間にか昭和40年代に逆戻りしてしまう、という
ことになるのだろう。

ほう。
posted by こもだ at 22:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月03日

エアコンよ、エアコンよ。

今日、教室のエアコンを取り換えた。
クリーニングしてから、ほんの2ヶ月も経っていない。
痛恨の判断ミスであるが、致し方ない。

思い起こせば11年前(だっけ?)、
エアコンを取り付ける際に、
塾は夜しか使わないんだから、と考えて、
気持ち小さめのエアコンを選んだのは、
間違っていなかったと思う。

ところが強烈な西日と、
汗をかいて飛び込んでくる子どもたちの体温は、
計算上の適正値や合理的な判断などの
とうてい及ぶところではないほどの、
猛烈な暑さをもたらすものだった。
「教室は、子どもたちの熱気でむんむん」
というのは、比喩でも何でもなかったのである。

もっともこれも、すでに過去のことである。
新しいエアコンがすべてを変えてくれた。
もちろん、それなりのお金はかかったが、
子どもたちが快適に過ごしてくれるなら、惜しくはない。
そう思う。

hishaku.jpg

さて、子どもたちは喜んでくれたかなあ、と思っていたら、
さっきKちゃんが話しかけてきた。

「先生、エアコンいつ替えるの?」だって。
posted by こもだ at 22:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月01日

秋来ぬと

今日から9月。
つい2週間前には40度近い猛暑だったのに、
今日は涼しい。

dongries.jpg

夏の終わりは淋しいものだけれど、
それも8月中だけのこと。
9月のカレンダーをめくると、
もうそんな気持ちはなくなってしまう。
不思議なものである。
posted by こもだ at 12:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月31日

青臭い話で恐縮ですが

ぼくが若かった頃、
今と同じように若いモンは軽薄だったし、
これといってまともなことなど考えずに生きていたものだが、
それでも、前の時代の残滓のようなものは
まだそこかしこに見つけることができたような気がする。

あのころは、親も学校の先生も、
戦争の時代を生きてきた人たちだったから、
もう少し、人生というものを考える雰囲気は残っていた、
なんていうのは思い違いだろうか。

nyan3.jpg

死の影を忘れてしまったためとは言わないが、
今の時代には、もう「いかに生きるべきか」なんていう
青臭い問いは、どこにも残っていないように見える。
代わって座を占めているのは、
「どういう選択が社会的経済的に有利か」という意識である。
これはこれで真剣な問いに違いないが、
少しも美しいものではない。

もちろん、
人生の意義は自分のために功利を追求することにある、
という考えはあってもよいのだけれど、
そうした人生観が、出版や放送や教育の場で、
さも天下の公論であるように語られると、
寒々しいような気持ちがする。

社会的に成功することは
素晴らしいことのひとつであるには違いない。
しかし自分の人生の舵取りが、
組織の経営と同じ意識でなされるだけだとしたら、
世界はなんて寂しいだろう。
posted by こもだ at 22:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月30日

かみなりごろごろ

さっき大きな雷が鳴った。
急いでパソコンのコンセントを抜いた。

雷ってのは神が鳴るっていう意味らしいが、
たしかにこんな大サウンドは、
とうてい人の力で出せるものじゃない。
昔の人じゃなくたって、
神が鳴っていると言いたくなる。
部屋で聞いているだけなのに、
太古の心が思い出せるような気さえする。

dawn.jpg

こういう圧倒的なものの存在を
からだ全体で思い知らされるのは痛快だ。

ここで放電によって空気が膨張し、
そのときの振動がどうのこうの、なんていう
「科学的な」説明を持ち出して、
心の震えをごまかしてはいけない。

そんなものは、ただ名前を付け替えただけのことである。
物が落ちる力に引力という名前をつけたところで、
その力が存在する不思議を説明したことには
ならないように、
「神が鳴る」を「放電現象」と呼び替えたところで、
何が分かるわけでもない。
びっくりすべきことには、ただびっくりしよう。
posted by こもだ at 22:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月24日

セミはみんみん

子どもたちに、セミってどう鳴くの、と尋ねると、
きまって「みーん、みーん」という答が返ってくる。
そのたびぼくは、注意をする。
それはテレビで観たんだろ。
外のセミがみーんみーんって鳴いているか?
ちゃんと聞いてみな。

ここ名古屋には、ミンミンゼミはいない。
したがって、セミというのは
「じーじー」とか「しゃーしゃー」と鳴くものである。
セミがみんみん鳴くなんてのは、
ここに暮らす者にとって、
キツネがこんこん、
たぬきがぽんぽこというのと同じたぐいの
擬音に等しい。

しかしどうやら子どもたちは、
現にうるさく鳴いている外の蝉よりも、
テレビの中のみーんみんみんの方に、
よほど馴染みがあるようだ。
ぼくはセミが大っきらいだから、
子どもたちがセミなんかに親しんでくれなくても
一向に構わないのだが、
目の前の現実よりもテレビの作りごとがより親しい、
という状況は、やはりただごとではない。

もちろんテレビを観るときは、
ふだんよりずっと音に対して意識的になっているから
同じ音でもより印象に残るのはやむを得ないのだが、
やはり自分の耳が教えるとおり、
みんみん鳴くのはテレビの話で、
セミはじーじー鳴くものだ、
ときっぱり答えるようになってほしい、と思う。

sora.jpg

えっと、以上の文章は、ひと月くらい前に書いて
そのまま忘れていたものだが、
どうして今ごろ引っ張り出したかと言うと、
じつは今朝、朝食をとっているときに、
ミンミンゼミが鳴いているのを聞いたからだ。
はっきり、みーんみんみんみーん、と鳴いていた。

驚いた。
名古屋にはミンミンゼミはいないはずじゃなかったのか。
これじゃえらそーに説教していたぼくの方が、
テレビやネットの情報を鵜呑みにする
駄目なヤツみたいじゃないか。
くそー、ミンミンゼミめ。
posted by こもだ at 13:11| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月23日

甲子園で

夏の甲子園は、佐賀北高校の優勝で幕を閉じた。
公立の進学校が、
他県から優秀な生徒をかき集めて編成した
野球エリート集団を蹴散らした格好である。
まことにめでたい。
昼食をカレー屋で食べながら、
概略以上のような新聞記事を読んだ。
ほほー、なるほど。

ema.jpg

ほとんど何も知らない者が
軽々にコメントするのも何なのだが、
このことは裏返して言うと、

ほかに取り柄はないけれど
野球だけは得意という子どもたちが、
小学生の頃から人並みならぬ努力を続け、
中学校で注目されるようになり、
強豪校と呼ばれる高校に招かれたあとも、
何十人ものライバルたちの中で激烈な競争を重ね、
厳しい練習と、先輩たちの横暴に耐え、
ついにレギュラーの座を手に入れて、
勉強も捨て、寝食も忘れるように、
ますます二六時中野球に身を捧げ、
果てしのない苦難を越えて、
とうとう憧れの甲子園にやってきたら、
勉強もそこそこできて、
あれもこれも器用に楽しんできたような連中に
一蹴されてしまった、
ということになるのだろうか。

まったくやりきれないような話である。
posted by こもだ at 23:31| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする